カタツムリのつもりもむりむり

一般的オタクの頭の中身を置いていくところ / アイドルマスターSideMが好きです

2019年4月22日から26日まで

半分ぐらい書いてて忘れていた。 キリが良いのでGWの話は分けておく。

 

23日、ヒプノシスマイクのアルバムが届いた。ドラマCD盤とLIVE盤を買った。

 

Twitterでも散々言われていたけどStellaめっちゃ良い曲。個人的に何が一番良いかって「夢野幻太郎が書いた小説」=「(事実的にどうかは別として)幻太郎のポッセへの思い」っていうところが良い。お前乱数や帝統に対してそんなこと思っていたのか……幻太郎は乱数のこと信用はしていなさそうなのに何か危なげなところがあるから助けたいと思っているのかお前……良い奴だな……

 

まだ漫画版読んでいないから完全に妄想だけど、個人的に乱数はホムンクルスとかクローンとか量産型人間とかじゃなくて、ただの人間だけど幾原監督作品的に言うところの「透明な子供」だったんじゃないかな〜と思っている。使う側の人間は乱数じゃなくても良かったし、乱数の在り方が「女性に馴染みの無いヒップホップを馴染ませるためのポップでキャッチーな存在」であるようだし。戦争終わったばっかりだったら世情も安定していない(日本で戦争状態や内紛があったかわからんけど産まれ自体は海外である可能性もある)だろうし、全く同じ乱数がいっぱいいるんじゃなくて乱数と同じような駒がたくさんいて、乱数が急にいなくなってもおかしいと思われないような「透明」な存在だったら、って考えている。たまたま乱数が選ばれて、たまたまそれが成功だっただけで。

科学者は科学的に産まれた者ってことじゃなくて過去をも捨てて何かを追い求める者、だからこそ「いつか故郷が見たい」んじゃないかな、中王区で産まれたんじゃなくてちゃんと生まれた故郷があるんだけどそれがわからない、だから「あるのかもわからない」。

 

幻太郎が盗賊=誘拐された子供って言う考察も見たけど個人的に「他人の人生を盗んで面白おかしく作品に仕上げて商売にしている」っていう認識だからなんじゃないかと思っている。ドラマCDでもあったように人間観察して好き勝手に妄想するのが趣味だし。

一二三や独歩は割と他人に対して何が失礼がわからない(から一二三は失礼なこと言っちゃうし独歩は世間的に見て失礼であるかと相手が怒っているかどうかで失礼かどうか判定している節がある)けど、幻太郎は帝統が本気で怒るような嘘つかないからその辺結構機敏そうだし小説家と言う仕事が多少なりとも下賤であると思ってそう。自己肯定感低そう。

ので、Stellaのそれぞれの役は全くイコールに過去と一致する訳ではないんじゃないか、むしろ叙情的トリックなんじゃないかと思っている。乱数は別にサイエンスに産まれた存在では無いし、幻太郎は普通の捨て子でそれを普通に卑しい身分だと思っているだけだし、帝統も実際は昔ちょっと金持ちだった家の坊ちゃんだったってだけで。役だから盛ってる(これはオブラートに包んでいる、つまりみんな結構悲惨だった)っていうのもありそう。

妄想終わり。まあ深読みしすぎて自分の考察当たったことないけど。当たったら焼肉食いに行くわ。

 

 

24日に助手展が終了して、26日は助手展の打ち上げがあった。助手になってからはなるべくこういう集まりには出るようにしている。実質的な同僚だけど自分からかなり積極的に話し掛けに行かないと本当に交流無く終わってしまうし普段の仕事は同僚0で上司か取引先か学生しかいないような状況なのでやっぱり同僚の存在は大きい。自分と同じように先生と学生の間で悩んだり頑張ったりしてる人がいるんだなって思う。

相変わらず私はお酒を飲ま無かったけど、流石に3年目になれば慣れもあるので結構話していたし色んな話も聞いた。手持ち無沙汰な時の雑談、が苦手だから普段は全然話さないこともあって「あ〜そんなことになっていたんだ」とか「そんな風に思っていたんだ」とか「そう思っていたの私だけじゃないんだな」とか、色々思ったしそんなことを言った。

助手、っていまいち社会人感が薄いけどそれでもやっぱり学生じゃない感じは大きくて、一番そう思うのは自分が大したことない人間なんだなって思う時。100%自分のせいじゃないけど迷惑を掛けていたり、まあでもその迷惑も結局自分の力じゃどうしようも無かったり、自分って割となんでも出来ると思っていたけどちゃんと得意不得意があるんだな、と実感した。

学生の時は漠然とした特別感、万能感、というか自分はもっと成長できるんだと思っていたけど今は成長できる部分とどうしようも無い部分、というか世の中一般の人には備わって無いし自分にも無い能力があるっていうのわかってしまった。し、大体の人もちゃんと悩んでいたりうまくいかなかったり答えの出せない問題ってたくさんあって私は特別駄目でもなければ特別良くも無い、普通の人間なんだなと。

 

今、助手の中には一つの課題があって、でもそれを誰も解決に導けないし多分全員が一丸となって課題に取り組むのも難しい。一番なんとかできそうな人が整理に向けて動いてくれている。私としても課題を解決したいけど、能力も熱量も足りない。私に凄まじいカリスマ性があればなんとか出来たかもしれないけど、そんなものは無い。できるとすれば、結局は一番なんとか出来そうな人と同じルートを辿るだろう。本当はなんとかしたかった。とはいえ、なんとかは出来ない。この課題には多分正解とか無いし、どのルートを選んでも多分同じぐらい悔恨は残る。でも、みんな大人なので悔恨が残ることも承知しているし私ももうそれがわからない程フレッシュな心は持っていない。

たまに、自分が凄まじく幼くて頼りなくて恥ずかしくなるけど、それもやはり自分に夢を見過ぎているだけで、結局そんなもんだと思って生きるしか無いしまだまだ満足を知るには程遠いようでちょっとだけ気が滅入る。来年以降、学校以外の世界に飛び出した時どうやって生きているんだろう。自分に必要なのは、立派な人間になることでは無く駄目で普通な人間であることをいつも心に留めておくことなんだろう。